君恋し、おもいは八千代に募るまま
那岐

今年も春がやってくる。
みんな世間は桃だ梅だ桜だって騒いで、楽しそうだけど。
われらが陛下はこの時期こそ、影纏う。
それも当然だけど、腹が立つくらい、今年も同じ。
そう、もう五年近くも同じ。
***
「千尋!」
ほうけた彼女を強く呼べば目を覚ましたかのようにこっちを見る。
目なんてずっと開いてたのに、彼女は僕のことを、いや、この世界のことを見てない。
春になると。
苦笑いの文官は、偉大なる女王の真名を呼び捨てにした僕をにらみつけながらも、
やはり困っている。
それはみんな分かっていることだからこそ困っている。
強くいえなくて。
「陛下、本日は執務をおやすみになってはいかがでしょう。」
親切心だろう、文官がそう提案すると、千尋は顔を曇らせた。
「いいえ、やります。昨日もそうだったもの。」
眠気を覚ますようにきりっと口を結ぶ千尋はあの日と変わらないままだ。
悲しいくらい、こっちが苦しいくらい。
「千尋、執務より僕はなしたいんだけど。」
「那岐が?」
「ああ。」
なんとなく悟ったのか、文官はきつくにらみつけてくる。
そうだ、この五年皆彼女の周りのものはこうだった。
まるであの名を忌むかのように、綿で包むかのように、宮の桜すら切り捨ててまで、
なかったことのように。
でも、それはいけない、知ってる。
そしてこれを言うのは僕しかいないという自負があった。
まったく、嫌な仕事を押し付けてくれたもんだ。
「いいかげん、整理しなよ、気持ち。」
核心をいきなり人もいる前で言われたせいか、ちひろがはっとこっちを見る。
文官は自分が言われたかのように息を呑んで苦しそうな顔をしている。
千尋は苦しそうに、何かを耐えるかのように唇をかみ締める。
「千尋が、そんなじゃ忍人が苦しむよ。」
はっきりと久しぶりに聞いた名に千尋は反応を示す。
顔がゆがんで、なきたいのになけない彼女のここ数年見慣れた顔が現れる。
「わかってる!!」
甲高い声が響き渡る。
苦しそうに、しているくせに彼女は泣かない。
あの日から一滴たりとも涙なんてこぼさない。
「わかってるよ・・。」
「じゃあ、あとちょっとだね。」
僕が言わんとすることが分かったのか千尋は悲しそうに笑顔を見せた。
そんな笑顔僕らの誰も見たいわけじゃないのに。
誰だって彼女を悲しませたくなかった。
だから五年と言う間誰も彼のことを口にしなかった。
でも、僕は、それでも、時間を止めるよりも動かした方がいいと思ったんだ。
たとえ千尋が僕のこと恨んだっていい。
そんなの怖くない。
本当に怖いのは千尋が何時までも進めないことで。
千尋に分かってほしかった。
「私、行って来るよ。ごめん、今日は終わりにする。」
律儀にも文官にそういった彼女は部屋を後にした。
これがどう転ぶかなんて僕はしらない。
でも賽は投げられた。
あとは、彼に任せよう。
今は無き忍人が彼女を苦しめるだけじゃないといいと思う。
むしろ願う。
僕が願うのは千尋の幸せだから。
「どうして千尋を残したんだよ、忍人。」
僕のつぶやきは果たして彼に届いただろうか。
那岐はね、嫌われ役を買って出ると思う。
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